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unlikelyな日常

野球が生み出す一体感

平均視聴率は20%を超えているらしい。

視聴率が取れないと、テレビ業界がえんえん言っている中、大健闘を見せているWBC

 

プロ野球は視聴率が取れないと地上波から姿を消す中、WBCがここまで盛り上がりを見せる理由を考えてみたいと思います。

 

その理由は、「国対国」の戦いにあると思います。

 

ぼくらが侍ジャパンを応援するのは、「日本代表」だから。もっと詳しく言うと、日本という「国民」を代表して戦うから、だと思う。

「国民」代表だから、応援してしまいたくなる。

 

では、この「国民」というものをもう一度考えて見ましょう。

 

野茂、松井、イチロー

日本を飛び出し、世界最高峰の舞台、メジャーリーグに「挑戦」してきた先人たちはつくづく偉大だと感じます。

日本の裏側から発信されるその活躍に、今WBCで活躍している、かつての野球少年はもちろん、多くの人々が胸を踊らしていたことでしょう。

 

「世界への挑戦」。球界の偉大な先人たちが積み重ねてきた歴史が、今の日本代表の精神の原点であり、一体感の拠り所になっているような気がしてなりません。

 

ナショナリズム研究の古典と言われる「想像の共同体」の中で、ベネディクト・アンダーソンは、

『国民は一つの共同体として想像される。なぜなら、国民の不平等の中にたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ。国民は、常に水平的な深い同志愛としてこころに思い描かれるからである』

と書いています。

 

これを日本の野球の歴史に当てはめてみると、先人たちが作り上げてきた「世界への挑戦」は、ぼくら日本人にとって、「創造の共同体」を作り上げる1つの要因になり得ているのではないでしょうか。

 

このような一体感を生み出す原体験は、民族や言語などのアイデンティティの不足を補完します。

単一言語、単一民族の日本でなら、なおさらその一体感を強固なものとするでしょう。

 

イギリス、アメリカ、といった先進国のアイデンティティが揺れ動く中、野球で日本が一つになっているという心地よい感覚に触れながら、準決勝を観戦します。